Enter your ZIP code so we can provide the most accurate inventory and delivery information.
21日間。その中に、「ああもうこんなところまで来たんだ、この先もこの調子で行けるといいな」という気持ちになるための休息日が2回はさまれます。負傷した選手は時にその事実を受け入れるのを拒否します――このクエストが終わるなんてありえない! でも結局ケガには勝てず、彼らのツール・ド・フランスの夢は現実という岩にぶつかって砕けます。残った者たちはジャージを着てヘルメットをかぶり、毎日毎日ロードに繰り出しては、誰が花火を打ち上げるかを見ているのです。最終週、再び導火線に火がつけられます。休息日をもらった脚を使ってプロトンはスロットルを開き、第16ステージへと「ドロップモード」でなだれ込み、猛烈なペースで進みました。残念なことに、そのあおりを食ってクイックステップのマルセル・キッテルはマイヨ・ヴェール争いのライバルたちにポイント差を縮められてしまいました。ゴールへの圧倒的ハードチャージ(キッテルはまったく参加できず)で、キッテルはライバルにさらにポイントを献上します。しかしまだ大丈夫――誰もが欲しがるスプリンターのジャージは、ステージ終了時にまだしっかりと彼の肩に掛かっていました。間違いなく彼は、パリまでそのままジャージを持って行くことを夢見ています。
ところが、誰かを特別にひいきしないのがツール・ド・フランス。ツールは人々の願いなど知ったことではありません。キッテルは緑色を着てスタートしたものの、髪型をばっちり決めたこのドイツ人にとって第17ステージはさんざんな日になりました。このステージには手ごわいガリビエを含む山と谷がたくさん用意されていますが、見ているわれわれは、上り坂での争いを期待しこそすれ、小規模なクラッシュがキッテルの夢を粉々に吹き飛ばすなんて思いもしませんでした。ステージのスタートからわずか20㎞の地点で落車した後、果敢に勝負への復帰を果たそうとしている彼の姿が見られました。彼の目標は明らかでした――グルペットにとどまり、そのままフィニッシュまで行くこと。しかしほどなく、クイックステップのツイッターが終わりを告げました。「グリーンジャージの@marcelkittel、#TDF2017でステージ5勝のライダーは、クロワ・ド・フェール峠の頂上で停止した」。彼はリタイヤし、緑のジャージ姿でパリの石畳を走ってフィニッシュラインを越えるという栄光も視界から消えました。このステージを制したのは元スキージャンプ選手のライダーでした。ツール・ド・フランスのひとつの夢が消え、かわりに別の夢が実現されたといえましょうか。
そして迎えるのは第18ステージとイゾアール峠の山頂。端的に言って、急峻な山道です。劇的な山頂フィニッシュが今年のツールの山岳コースの最後を飾ります。総合優勝を狙う者たちにしてみれば、黄色のジャージを頑として手放さない男から奪い取る最後のチャンスです。イゾアールへの登りは14㎞あり平均勾配は7%となれば、誰もが苦闘するのは見えています。アタックと打ち上げ花火が繰り返されるうち、分断ができて、突如として怒涛の先行が始まります。最後はひとりの男が前へ飛び出して、ソロの勝利を勝ち取りました。頂上を制した彼は空を背景にまったくの単騎でそのシルエットを刻みます。表情には疲れなどみじんも感じられません――高揚感があるだけです。なにしろ、ステージ優勝だけでなく、2017年ツール・ド・フランスの赤い水玉ジャージは確実に彼のものになったのですから。あとはパリまで無事にたどりつくだけ、それも残りはわずか3ステージ。カウントダウンが続きます。
第19ステージは今大会最長の222㎞で、峠をいくつか越えるほかは平坦なコースで競われます。フランスの太陽の下、力強いペースでレースが進む、長くて熱いステージでした。大きな逃げ集団が形成され、分割され、ふたたび合流し、ついにフィニッシュ近くで2人のライダーが飛び出しました。残り2㎞での突然のアタックで片方が飛び出し、独走態勢に。このステージもソロ・フィニッシュが決まりました。
ソロといえば、第20ステージは究極のソロイベント、個人タイムトライアルです。マルセイユのヴェロドロームをスタートとゴールにして市内を回る22.5㎞のコースに、ライダーたちがこぎ出します。黄色いジャージを手に入れたも同然の選手にとっては栄光へのレースです。早い段階で、若きポーランド人ライダー、マツィエイ・ボドナル(ボーラ=ハンスグローエ)がトップのタイムを叩き出しました。全員が走り終えるのをドキドキしながら座って待つ間、彼は次々に登場するライダーたちが――複数のTTチャンピオン経験者も含めて――彼のタイムを越えられずに終わるのを目にしました。とうとう最後のひとりも走り終え、ボドナルは1秒差でタイムトライアルに勝利し、自身にとって初のツールでの栄冠を手にします。この日はもうひとつ、マイヨ・ジョーヌの確保という栄冠もほぼ決まりました。ファイナルステージが残ってはいますが、実質的に戦いは終わったと言えます。
ツールの最終日は、長いビクトリーパレードの最後にスプリントが付いているという形容があてはまります。スタートは(最終日がたいていそうであるように)笑顔とお祝いムードで走り出し、バイクに乗った男たちがフランスの田園風景の中を走りながら、プラスチック製(たぶん)のシャンパングラスでシャンパンを飲む姿が見られます。ペースは――少なくとも選手たちにとっては――ゆっくり、まったりであり、シャンゼリゼに着く頃になってようやく、プロトンの中で「そろそろ本腰を入れてレースをした方がいいんじゃないの」というつぶやきが交わされます。最終日はスプリンターのステージで、残り5㎞でクイックステップのズデネク・シュティバルがバーナーに再点火してアタックを開始。しかし点火が早すぎて、残り2.5㎞でスプリンターの大集団にのみ込まれます。レーサーたちがハードなスプリント合戦を繰り広げるおなじみの光景で締めくくられて、ツール・ド・フランスは終了しました。
ツール・ド・フランスは誰にとっても長くてつらい戦いですが、それでも愛さずにいられないレースです。今年のドラマのすべてを見れば、こんなことにはかかわらない方がずっと楽だったでしょう。しかし、われわれは花火が好きなのです。お祭りで目を奪われ、「おおー」とか「ああ!」と叫ばずにいられない花火。どのステージもまばゆく輝く栄光のうちに結果が決まります。前へ向かって猛攻をかけた男がそれを手にします。時にはひとりも追走がいない印象的なソロで、あるいはタイミングを見計らったハンドル投げで、また別の場合には力と意思のガチンコ勝負で。花火。傷つきボロボロになってもライダーが走るのは、諦めたくないからです。ツールがツールだからです。別の花火が打ち上げられ、われわれは空に向かってこぶしを振り回し、誰を応援するか選びます。花火。細身だが筋金入りの男が、他のライダーが後ろにずるずる落ちていくほどの急坂の登りでアタックします。花火。われわれはもう、来年のツールに向けて――再び導火線に火がつけられ、今年と同様のドラマが繰り広げられる日に向けて――カウントダウンを始めています。なぜ? だってそれが花火というものですから。
ファイトが勃発。といっても、サイクリングウェアにクリート付きカーボンシューズを履いて沿道をうろうろしている痩せた男たちが、顔面パンチを浴びせるふりをしながらファンキーなバトルをするといった話ではありません。決してそのタイプのファイトではなく、ガチで相手に打撃を与える派手なファイトではありますが、使うのは拳ではなく、大腿四頭筋と、火をつけたティッシュペーパーのように燃焼するエネルギーです。このファイトは、ある意味では布切れをめぐる――マイヨ・ヴェールと呼ばれるジャージをめぐる――戦いでもあります。休息日が終わり、プロトンは178㎞の第10ステージを走り出しました。平坦で距離も短い、圧倒的にスプリンター向けのステージです。スタート後に飛び出した2選手が残り6.5㎞の地点で吸収されると、勝負開始のベルが鳴らされます。マルセル・キッテルが堂々と今大会4勝目をあげ、これによってこの大柄なドイツ人はツール・ド・フランスのステージ優勝数を通算で13に伸ばして、「ライオン・キング」ことチポリーニの記録を抜きました。
「まるで、小さなおとぎの世界のちっちゃい泡の中にいるみたいな気分だ」とキッテルは言います。しかし現実世界にいるわれわれは、自信を持って「これはフェイクニュースじゃない」と断言できます。彼が緑のジャージに袖を通し、ジッパーを首元まで引き上げると、われわれは全員で「ヤー!〔ドイツ語の「イエス」〕」と叫ぶのです。
カエルのカーミット〔TVの教育番組「セサミストリート」に登場するマペット〕はかつて、「緑色でいるのは楽じゃない」と歌いましたが、キッテルは明らかにその歌を知らないと見えます。彼は堂々たる走りで第11ステージの勝利をも難なくもぎとり、その後のインタビューではフィールドでの追い抜きについてテトリスにたとえてみせました――「正しい隙間に入るだけさ」。11日間で5つのステージ優勝という成績に、われわれは「これでもうマイヨ・ヴェールの行方は決まったと言っていいのだろうか?」と自問します。ツールの最終週は、スプリンターの爆走を愛する人々にどんな光景を見せてくれるのでしょう?
しかし、最終週を迎える前に、プロトンは山岳地帯へ向かいます。第12ステージは1日中セクシーなコル(山岳の鞍部)が目白押しで、ファンは英雄的な登りや情熱的な飛び出しを楽しむことができます。下りではつづら折りのコーナーに突っ込んだマイヨ・ジョーヌがコースをはずれ、キャンピングカーへの“抜き打ち訪問”をしそうになってファンを驚かせました。この小さな計算ミスが、後で大きなコストとして返ってくる可能性はあるでしょうか? フィニッシュへ向かう壁のような登り坂は、そこまでたどり着いた者すべてにさらなる試練を与えます。先頭集団が歯を食いしばって最後のストレッチを上るなか、クレームブリュレの硬い表面をスプーンで割るように、黄色いジャージのペースが崩れます。疲労を見せずにその日の勝利を勝ち取ったのはフランスの選手。黄色いジャージを着る男も交代しました。しかしツールはまだ先が残っています。
カレンダーがめくられて7月14日のフランス革命記念日。この日はピレネーを出発して1級の山を3つ越え、最後はフィニッシュまで25㎞のダウンヒルというコースです。ブレーク(飛び出し)が連発され、何人かのライダーは一日中勝利に向かってあの手この手を試し、ゴールをこじ開けようとしました。結局、フランス最大の祝日に栄冠をさらったのは、昨日とは別のフランス人ライダー。マイヨ・ジョーヌは前日と同じ選手の手元にとどまりました。このステージで果敢に攻めて6位に入ったクイックステップのダン・マーティンが手助けを受けながらバイクを降り、背中を抱えられ、顔をしかめ足を引きずりながらバスに向かうのを見ていると、サイクリングはゴルフとは違うことを改めて思い知らされます。キャディーはおらず、誰もが自分のクラブを自分で運ばなければならないのです。
第14ステージは、またもフィニッシュ手前が壁のように急勾配の登り坂です。平均10%の勾配を持つわずか500mちょっとのこの坂が、勝敗を左右します。しかし終わってみれば黄色いジャージは再び“おなじみの”男の肩にかけられていました。総合優勝はこれでもう決まり? 彼がこのジャージをまた手放す時が来るのか、それともパリまで着続けるのか? 現段階ではまだ勝負はついていませんが、第15ステージを控えてファンたちはタイムを計算し、最後の決着と花火での祝福を祈りはじめています。何年も繰り返されたマンネリのシナリオなんて誰も望みません。実際、第15ステージは脚をとことん使わせる登りの日になり、最後にはわれわれみんなが大好きな形での勝利――後ろに他のライダーが見えない、ソロの逃げ切り――という盛り上がりが待っていました。総合順位に変化がないまま、2度目の休息日がやってきます。選手たちがマッサージや軽い一走りでリラックスしている間、ファンは今後の展開を夢見ながら眠るのです。黄色、緑、水玉、白――ツール・ド・フランスのジャージを戦わずして諦めるライダーなど、誰ひとりいません。
ツール・ド・フランスで飛翔するためには、鷲のごとくあらねばなりません。絶壁の上に立ち、翼を大きく広げ、羽根を震わせ、カギ爪にぐっと力を入れます。エンジンの回転数を一気に上げて、回転数が最高に達したところで、ゴールに向かってその身を飛び立たせます。ジャージをまとった身体はフランスの陽光を浴びて光り、そこから、戦場で勝利という名のネズミをひっつかむために急降下を仕掛けなければなりません。ツールの第2週は鳥類観察者のパラダイスです。鷲の飛行が最初に見られたのは第6ステージでした。マルセル・キッテルが爪を研ぎ、彼一流の「風に乗る」走りを駆使して勝利をものにしました。彼のがっしりした身体はフィニッシュ手前のストレートまで集団の中に隠れていましたが、残り75メートルで安全な風除けの後ろから飛び出し、勝利をさらっていきました。首尾よく狩りは終了というわけです。
第7ステージ、キッテルはスプリントステークス3連覇を達成しましたが、フィニッシュはまさにカギ爪でひっかけてたぐりよせた勝利でした。このレースでも風を味方にしたことがものをいいましたが、今回吹いたのは、プロトンのスピードを一層上げさせる追い風でした。ゴールラインへ向かって飛翔するキッテルはわずかにチャージ開始が遅れたように見え、彼ともうひとりのライダーはフィニッシュのガントリーの下を横一線で走り抜けます。歓声が上がり、放送クルーの前で両手が上がり、スプリンターたちは荒い息をしながらハンドルバーの上に倒れ込みました。どっちが勝ったのか誰にもわからないので、誰も祝福に駆け寄りません。1位と2位の間のわずかな差を見分けるには、鷲の目が必要でした。幸い、間違いやすい人間の視力に代わって判定をしてくれるテクノロジーがあります。何秒かが経つと、キッテルの表情が戸惑いと疑いから勝利の歓喜へと変化しました。彼はツール・ド・フランスでの通算12回目、今大会3度目の勝利を手にするとともに、緑のジャージも取り戻しました。
鷲はあくまで鷲らしく振舞い、第8、第9ステージでも二輪の荒鷲たちは空に舞い上がりました。第8ステージは山登りが鎖のように連続するタフなコースで、スパートに勝負がかかりました。勝利を手にしたのはフランス人選手。彼は大胆にも単騎で飛び出して先頭に立ち、最後の登り坂で脚にけいれんを起こしながらも戦い続けて優勝をわがものにしました。フランス国民は大喜び。しかし、次に待っているのはツールの最難関ステージである第9ステージです。文字通り「荒鷲たちが賭けに出る」場面が、良い意味でも悪い意味でも展開されました。
ライダーたちは大胆で勇敢です。彼らは虎視眈々とチャンスを狙い、限界まで自分の力を絞り出します。しかし45㎞の登りを擁する第9ステージでは、多くの選手はただ「生き延びること」を目指しました。スプリンター勢はこういうコースを嫌がり、総合首位争いに絡む選手たちはレースの最終盤に死闘を繰り広げ、歯を食いしばり、栄養ジェルを吸い込み、登り切った頂上でもらう氷のように冷たいコーラを夢見て走りました。ビシュ峠を生き延びると、今度はグラン・コロンビエが彼らを叩きのめし、消耗させます。最後の登りとして立ちふさがるモン・デュ・シャは、この日一番の、そして今大会で一番の、急勾配。誰もがそれを身にしみて実感しました。メカトラブルや楽観主義者のアタック、勇敢な逃げから花火まで、ライダーたちは一日中いろいろな形で飛び出してはその差を最後まで保とうとしました。が、それも残り23㎞で下りに差しかかると一変します。クラッシュ、壁――ニュースが伝わるのを待つわれわれには心臓が口から飛び出しそうなほど心配な時間が続きます。人気選手のうちある者はリタイヤし、ある者は血を流し顔をゆがめながらもレースを続行します。その末に、勝者はこの日のレースで傷だらけになったバイクを駆って、飛翔への跳躍を果たします。
何人もの有力選手が登りで戦線離脱したり、クラッシュでリタイヤしたり、ファンが目撃したとおりに誰もが疲弊したりした第9ステージのドラマがすべて終了したところで、荒鷲観察の双眼鏡をいったん下ろしましょう。とはいっても、双眼鏡は手の届くところに置いておかなければ。休息日は1日だけです。第10ステージでは再び双眼鏡が必要になります。鷲たちが飛び立つ時、われわれは彼らの戦いの目撃者になるのです――彼らの美しき戦いの。
ツール・ド・フランス。血が騒ぎます。熱い血潮が皮膚の下から突き上げるように鼓動を伝えます。勝利への期待、集団から飛び出す興奮、アタック時のアドレナリンを思い浮かべて肉体は緊張感に引き締まります。不快な怒りで血が沸き立ち、天に向かってこぶしを突き上げる時もあります。総合成績を決める貴重なタイムが失われたり、不運と災難の魔物が誰かのジャージに麗々しく署名してみせたり、ファンタジーの同盟がふっとんだり。それが怒涛のような5日間に起こりました。それはそれは大変な1週間でしたが、それもようやく終わりました。済んだことは済んだこと。ツールのタンクにはまだまだレースが残っています。とはいっても、ひどい週だったからといって黙ってやりすごすわけにはいきません。第1ステージは濡れた布巾のようなウェットコンディションで、デュッセルドルフの道路を走るライダーたちはトム・クルーズばりのリスキーなアクションを強いられました。それも無理はありません。タイムトライアルの戦略は文字通りリスキーなものですから。クラッシュの危険を承知でハードに走るのか、慎重に走って総合成績のタイムを落とすのか、どっちを選ぶ?――という話です。もともとカーブが多くてテクニカルなコースに、油をまいたようにスリップしやすい路面が追い打ちをかけたことで、何人かのライダーはホッケーのパックさながらに身体ごと道路上を滑り、コールシートに「棄権」の表示が出た者もいました。しかし、泣いても笑っても今年のツール・ド・フランスの最初の区間はここ。ステージが終わればトップでゴールした選手が黄色いジャージを着て、そのジャージと同じくらい明るい笑顔を浮かべます。この瞬間を見れば、今年のレースは残酷さと同じくらい優しさにもあふれていることは明らかです。
スプリンターは肉食動物です。第2ステージはいつも、最初に食卓についた人間たちによる肉食の饗宴になります。独特のオールバックの髪型をヘルメットの下に器用に隠したクイックステップのマルセル・キッテルは、母国ドイツのデュッセルドルフでスタート地点に並んだ時、国中の応援の重みを一身に感じていたに違いありません。しかしそれは彼にとっては心地よい重さで、ベルギーのリエージュに設けられたゴール手前の最後のストレート、彼は接戦から前へ抜け出し、ブドウ踏みに挑戦する観光客のように情熱的にペダルを踏んでゴールを駆け抜けたのでした。ワイン造りのために足でブドウを踏むのと違って、キッテルが踏んだペダルはとても美味しい結果をすぐにもたらしました。このステージの最後に彼が見せた感情は、誰もが見とれるほどでした。今回の勝利で彼はツール通算10勝目をあげ、2日目にして緑のジャージを着込みます。嬉しいではありませんか。キッテルはスプリントで最高時速69.19㎞を叩き出しました。彼がもしEvadeヘルメットをかぶっていなければ、彼のブロンドの髪は――SPECIALIZED本社のWin Tunnel(風洞施設)でのセッションの時のように――後方に派手にたなびいたことでしょう。 起伏の多いコース。第3ステージはそう形容するのが適当です。ベルギーのヴェルヴィエを出発してまもなく山越えが始まり、全長200㎞におよぶローラーコースターのようなアップダウンを経て、短いもののテクニカルな登り坂のフィニッシュに至ります。山や丘を全部越えた先ですべての人の目をくぎ付けにしたのは、スプリントの現世界チャンピオン、サガンが見せた劇的な逃げ足でした。サガンが飛び出しの準備にかかった時、クリートがペダルからはずれ、一瞬空回りします。しかし、感嘆すべき冷静さと機敏さと対応力を見せて彼はすぐに足をはめ直して加速を始めました。サガンならではの力強さを発揮して、彼はツール・ド・フランスで自身にとって通算8度目のステージ優勝を勝ち取りましたが、残念ながら(ネタバレ御免)これが今年のツールでの最初で最後の勝利になりました。
第4ステージ、「部屋の中の象」〔誰もが認識しているが誰も口にしたがらないことを表す表現〕が起こりました。今後、2017年のツール・ド・フランス第4ステージは、誰がスプリントを制したかではなく、「誰がスプリントで勝てなかったか」によって記憶されることでしょう。人々はこの出来事に(ウォーターゲート事件をもじった)「○○ゲート」の名を与えるでしょうし、ネット掲示板には論評や批判があふれることでしょう。しかし結論はひとつです。この問題は「正しいか正しくないか」ではありませんし、「ひとりvs.それ以外」でもありません。ただ、すべてのサイクリングファンにとって残念な事件だった、それだけです。今しがた「部屋の中の象」と書きました。なぜならこんなことは見たくないからです。しかし、一方で象はまったくファンタスティックで堂々たる生き物だということも忘れてはなりません。象は頑丈な皮膚と気品ある鼻を持っています。われわれはみんな、もう少し象を見習うこともできたのではないでしょうか。ツール・ド・フランスはまだ多くのレースを残していますが、われわれはあの時それを忘れていたかもしれません。象ならそんな忘却は決してしないでしょう。
そうこうする間に、とうとう山岳コースにやってきました。今年のツールで3ヵ所しかない山頂フィニッシュの1ヵ所目です。この日はブレーク(集団からの飛び出し)の日と言えました。ブレーク組のうちのひとりが、この日誕生日を迎えたフィリップ・ジルベール(クイックステップ)。最後の登り――プランシュ・デ・ベル・フィーユで後ろに差をつけようとします。直訳すると「美しい娘たちの板」という意味になるブランシュ・デ・ベル・フィーユですが、ジルベールは、この日一番の名言になるかもしれない表現で、この山登りの難度はそんなに甘いものではなかったと言いました――「テレビではもっとずっと簡単そうに見えたんだけどね」。それでも、最後は後ろに飲み込まれてしまったものの、彼の飛び出しは見ていて美しいものでした。20%の急勾配にタックルして苦しさにゆがむ顔からも、あるいはきつい傾斜をジグザグに上っていく時に前後にねじれる身体からも、何かが伝わってきます。快適な自宅でテレビを見ているわれわれの顔も、つられて眉根に皺が寄ってしまいます。ジルベールはテレビで見た時にはもっと簡単だと思ったかもしれませんが、われわれはみな、最後の上りと山頂の征服を見ながら、すべてのライダーの負荷と懸命の奮闘とを自分のことのように感じているのです。
5つのステージが終了し、残りは16です。至るところが熱気に包まれています。スリル満点の瞬間の次には、失望の瞬間がやってきます。興奮のローラーコースターと呼びたければ、それもいいでしょう。しかし実際のところ、「ツール・ド・フランスのファン心理」と呼ぶだけでも十分です。
叫びとざわめきが鎮まり、「世界中に伝えられたしゃがみこみ」〔第16ステージ途中で総合首位を走っていたデュムランが胃腸の不調によりバイクを降りて沿道で排便した事件〕の容赦ない拡散がようやくおさまった後、ジロ・デ・イタリアはドラマチックな場面にかけては実にユニークな存在だという結論に落ち着きました。この最終週は、イタリアの熱狂的サイクリングファンの大げさな身振り手振りに似て、どのステージも世界中の興奮をかきたてる何でもアリのレースになりました。この週の始まりにあたって多くの人が考えていたのは、「最終ステージのタイムトライアルで勝負を決めたいと願うデュムランのような男が総合首位争いの3人のライバルを退けてわずかなリードを保てるのか、それともアルプスの雪解け水が流れ下るように山岳コースでずるずる後退するのか」という疑問でした。最終ステージの朝を迎えた時、行方が決まっていなかったのは2枚のジャージ――白とピンク――だけでした。ガビリアは前の週でもうマリア・チクラミーノのジャージを身体に“縫いつけた”も同然でした。つまりこのジャージをめぐる勝負はついていました。しかし、白とピンクのジャージは? ナポリタンアイスクリーム〔ピンク、白、茶色の3色を重ねたアイス〕の3分の2にあたるこの2色に、全員が熱狂の叫びをあげていたと思って間違いありません。われわれは、最終日に結果が決まるタイトなレースを期待し、時間不足や山腹のサドルや道ばたの溝(失礼!)をきっかけに誰かヒーローが登場してすべてをさらっていくんじゃないかと夢見ていました。
ホイールの不具合、悪い食べもの、下手な駆け引き――それだけですべてが変わってしまいます。運命の女神は一瞬のうちにジロ・デ・イタリアをライダーの手から奪い去ることもできれば、手のひらを返したように幸運を恵んで簡単に勝たせることもあります。それがあるから、みんなレースをやめられないのです。ピンクの紙吹雪と、テラスの上やつづら折りの道路脇から声援を送るイタリアの観衆に彩られたこの期間。すべてのタイム計算、総合順位の抜きつ抜かれつ、タイム差を気にしながら過ごす夜。それら全部がジロ・デ・イタリアの最終日、最終ステージの最後の1㎞に昇華し、たったひとりのライダーが他の全員を破って栄冠を手に入れます。3612㎞がこんなに短く感じられたことはかつてありませんでした。
人は言うでしょう、「2017年のジロは記憶に残るレースだ」。間違いなく、忘れることのできないレースでした。われわれはオランダ人が史上初めて総合優勝するのを目にし、レース全体を通じて猛攻を見せてチーム成績争いを戦ったクイックステップを記憶に刻みました。フェルナンド・ガビリアは初参加のグランツールで神がかったようなスプリントをしました。最終日に順位を上げてマリア・ビアンカを掴み取り、2年連続でヤングライダー賞に輝いたボブ・ユンゲルスのことも忘れてはなりません。それがくせもの。今年の熱戦がスリルとドラマに満ちたものでわれわれの心に永遠に刻まれるとすれば、今年の伝説が過ぎ去った後に何が来るのか、知りたくてたまらなくなります。それがわれわれの心をかきたてるのです。間違いなく、今年のジロから来年のジロまでの間に、ファンがアイドルに事欠くことはないでしょう。
ジロの2週目はピンクジャージのシャッフルで始まりました。何日間かピンクを守ってきた者の肩からそのジャージが滑り落ちて別のライダーの手に渡り、新しい持ち主は最後まで手放さないという目標を掲げます。残りの選手ももちろん必死でそれを追いかけ、勝利を味わおうとハングリー精神をむきだしにします。しかし第9ステージが終わる頃にはタイム差が開いて、取り戻すのはかなり困難になります。でも、まだ時間はあります――2週目が始まったばかりなのですから。それに、ジロではいつだって予想外のことが起こります。この先何が待っているかなんて誰にわかるでしょう? ここはイタリアで、山岳ステージはしばしばクレイジーな側面を見せます。総合順位だけを考えるライダーもいますが、それ以外のライダーはパンのどちらの面が美味しいのかを知っています。パンを放り投げた時には、必ず「ステージ優勝」の面が上になって落ちるのです。今週、上に立つ機会を貪欲にうかがったのは若いライダーたち――特にそのうちのひとり――でした。向こう見ずで恐れを知らず大胆不敵なクイックステップのフェルナンド・ガビリアが若いエネルギーを思いっきり燃焼炉に投入して、第12ステージで劇的な優勝をもぎとりました。22歳の彼は、切手収集と同じくらい軽々とスプリントポイントを集めているように見えます。新たなホープの登場でしょうか? 彼には明らかに力があります。なにしろ、翌日の第13ステージをも制して、ステージ優勝の数を4に伸ばしてみせたのですから。彼は心底、マリア・チクラミーノ(ポイント賞)をミラノのフィニッシュまで守り抜きたいと思っています。この先は山岳地が多く、平坦なスプリントが減りますから、彼にとっては好都合なお膳立てのように見えます。
この週のクイックステップはそれで終わりではありませんでした。24歳のボブ・ユンゲルスは5日にわたってピンクジャージを着ただけでは飽き足らず、ステージ優勝がどんなものかも味わってみたくなったのです。第15ステージでそのチャンスが訪れ、ゴールへ向かっての全力のドラッグレースの末、彼は初のスプリント勝利と、ルクセンブルク人としては1956年以来となるジロのステージ優勝を手に入れました。表彰台でのキスとシャンパンシャワーの中で2週目が終わり、ジロのあちこちで若い力が跳ねまわっているのが感じられます。さあ、次は? 山が呼んでいます。経験がモノを言う展開になるかもしれません。
まるで「ホットポテト」ゲーム〔輪になった参加者同士が、1個の小さな品物を音楽が鳴っているあいだ投げ渡し合い、音楽が止まった時に品物を持っていた人がアウトになって輪から抜けるというパーティーゲーム〕をイタリア風にアレンジしたように、ジロ・デ・イタリアの最初の4日間でマリア・ローザはライダーからライダーへと渡り歩きました。それ自体はさほど珍しいことではありませんが、その4人のうち3人がクイックステップ=フロアーズとボーラ=ハンスグローエの所属となれば、SPECIALIZEDが提携するチームの間でジャージが行ったり来たりしているように見えはじめます。ユンゲルスが手の中のポテト(ジャージ)を気に入って手放したくないと決めるまでそれが続きました。グランツールの最初の週はいつだってイカレています。ライダーの中に湧き上がる気持ちは日を追うごとに安定し、神経がしずまり、ジロをおしまいにしてしまう愚かなクラッシュ(たいていの場合、有り余る力を制御できないことによって起こります)を避けられるようになります。一瞬のミスで、すべてはおじゃんです。しかし、1週目というのは、早い段階で勝利して名前を売るチャンスでもあります。ライダーは観客と同じくらいショーに胸を躍らせ、ラスベガスのネオンサインのように目の前で輝くピンクの魅力に引き寄せられます。ピンクのジャージは「おやまあ、私を着たいって?」と鼻であしらいます。「私をつかまえられると本気で思っているの?」
1週目――それは誰にも予測がつかないものなのです。
第1日目、ブーン! ジロのゲートをくぐったばかりの若き新星、ルーカス・ペストルベルガー(ボーラ=ハンスグローエ)がまわりじゅうを驚かせる勝利を勝ち取り、ピンクジャージに袖を通します。25歳の若武者は栄冠に破顔一笑、写真のフレームからはみ出しそうな喜びを表現しました。抑えきれない嬉しさ、予想もしなかった栄光の瞬間――これぞジロです。彼は翌日にはそのジャージを手放すことになりますが、2017年のジロで最初にピンクを着た男という名誉は、誰も彼から奪うことができません。 第3ステージはクイックステップのフェルナンド・ガビリアが絶妙のタイミングでスパートして力強くゴールを駆け抜け、勝利を手にしただけでなくピンクジャージも身につけました。彼は2日後にもステージ優勝を遂げますが、ピンクを獲得したのはこの日だけでした。というのも、ボブ・ユンゲルスが浮上して、5章からなるユンゲルス・ブックを書きはじめたからです。彼は陽気なおしゃべりも知らず、オオカミに育てられたわけでもないでしょうが、オオカミをかわす走り方は知っていたとみえ、第4ステージでピンクを手に入れると第9ステージまでそれを守りました。
しかしこのへんで第2週に移りましょう。何が待っているでしょう? ホットポテト(ジャージ)をめぐる目まぐるしい大騒ぎか、ピンクの保持者が刺客を次々に返り討ちにしてジャージを死守する展開か? われわれもわくわくしています。
スタートはタホ湖畔のありふれた一日。抜けるような青空に太陽が輝き、湖面はゆったりしたカリフォルニア流のきらめきで自己アピールに余念がなく、山の頂上には毛布をだらしなくひっ掛けたように雪が残っています。ツアー・オブ・カリフォルニアの女子レースに参加するライダーたちは選手受付付近に集まり、ボードにマークをつけるために階段の上へ呼ばれるのを待っています。ほどなく彼女たちはスタート位置につき、そのすぐ後にスタートします。タホ湖1周は72.7マイル(117㎞)。選手たちには、ガラスのような湖面にうっとりしたり、冠雪した山頂を仰ぎ見たり、100%フォトショップで加工したような美しい景色の前でちょっと止まって自撮りしたりする暇はありません。アタックし合い、ホイールで競い、高山の薄い空気の中で呼吸するので精一杯です。誰が見ても、熱い戦いなのです。アタックは素早く猛然と行われますが、集団はその形を崩しません。道路が上り坂になり、フィニッシュが近づくと、ひとりのライダーがアタックを開始し、続いて別の誰かがアタックします。カリフォルニア産のクルミのような集団にヒビを入れようとして何人かが仕掛けた後、我慢比べに終止符を打つべくブールス=ドルマンスの2人のライダー――アンナ・ファン・デル・ブレッヘンとメーガン・ガルニエ――が先頭から飛び出しました。フィニッシュへ向かう上り坂の途中にある最後のコーナーで全米チャンピオンに3度輝いたメーガンがオリンピック金メダリストのアンナを振り切って、勝利を手にしました。これで第1ステージが終了。彼女はほっとしたように息をつくと、黄色いジャージを着て勝者に与えられるクマのぬいぐるみを抱え、表彰台から降りてきました。
2日目、山の天気はいつもの夏のお天気レシピをどこかへなくしたようで、気温が下がり風は強くなりました。風は湖を吹き抜け、観客は分厚いジャケットとニット帽を引っ張り出し、目に見えないたき火を囲むように互いを風よけにしながら熱いコーヒーの入ったカップで手を温めています。受付に現れたライダーたちの多くも、今日はブリトーのように身体を防寒具で包み、スタート直前にようやく脱ぎ捨てました。数時間後に彼女たちが再びスタート地点に戻った時には太陽が照り、一方でメーガンが黄色のジャージを手放さねばならないことが明らかになっていました。しかしオリンピック金メダリストのアンナ・ファン・デル・ブレッヘンは総合首位のタイトルを目指してトレイルを疾走し、トップとわずか3秒差でゴール。午後には選手たちも、彼女たちのレースを支えるハングリーなキャラバン部隊も、数千フィート下って暖かい気候の土地へ向かいます。観客はサクラメントでの第3ステージに備えて短パンと日焼け止めを取り出します。
3秒差。それがアンナと黄色ジャージの差です。3日目はこの差に狙いを定めてブールス=ドルマンス・チームはスクランブル発進し、ほとんどの部分がトルティーヤのようにフラットなコース上でトレインを組みました。途中のスプリントではチームがクランクを回し、アンナが最後の仕上げを担当します。アンナはスプリンターとして知られているわけではありませんが、2位に入って首位とのタイム差を1秒まで縮めることに成功します。確かなことはひとつ――最終ステージはヒートアップするに違いありません。
1秒を縮めるのに必要なのは1秒です。第4ステージに向けてアンナ・ファン・デル・ブレッヘンはチームメートのホイールにくっつき、カリフォルニアのライフスタイルを取り入れて“サーフィンに絶好の波”に乗りました。チームはこの日は彼女のためだけに力を尽くします。彼女がトップに立つために必要なのは2秒。アンナはスプリントで1位にはなりませんでしたが、それでも十分でした。2位でゴールした彼女は、1秒差で総合優勝を手にしたのです。2017年の女子ツアー・オブ・カリフォルニアを制し、黄色いジャージを着た彼女が表彰台の一番上に立った時、誰もが、バイクレースでは1秒1秒が――タイムの点でもレース順位の点でも――大きくものを言うことをはっきりと思い知りました。
アンナ・ファン・デル・ブレッヘンにとってリエージュ~バストーニュ~リエージュの勝利はデザートのような甘美な味わい――アルデンヌ・クラシックを締めくくる贅沢なスイーツ――でした。また、ブールス=ドルマンス・チームから見れば、このレースによってアルデンヌ・クラシック・ウィークはまるで誰かに振付けされたダンスのステップのような結果になりました。というのも、3レースとも表彰台のステップ1と2、ステップ1と2、ステップ1と2をチームが独占したからです。いずれも1位がアンナ・ファン・デル・ブレッヘン、2位がリジー・ダイグナン(旧姓アーミステッド)でした。終わってみれば、この2人がペアでダンスを踊りたがっていたように見えます。リエージュ~バストーニュ~リエージュは、これ以上ないほど不器用なスクールダンスのように始まりました。多数の選手が互いを慎重に伺いながら、誰が最初に動くか模様眺めしている状態でした。とはいえ、壁の花のままでは何もできないことを誰もが知っていましたから、ペースが上がるまでにさほど時間はかかりませんでした。登りのたびに動きがあり、ブレイクダンスを踊り出す者や、クイックステップを踏み出す者がいましたが、いずれもすぐに集団に吸収されて終わりました。ブールス=ドルマンスが送り出した強力なバンド(つまりチーム)は、クリスティーヌ・マジェルス、メーガン・ガルニエ、キャロル・アン・カニュエルの3人が速いテンポを保ちます。そのビートは、誰でも付いてこられるようなものではありませんでした。
複数の小集団が形成され、5人からなる集団が前に出た時、ファン・デル・ブレッヘンとダイグナンは辛抱強くこの新しい動きについていきました。間もなく、集団が――その時点では4人になっていました――「じゃあそろそろ踊ろうか」という時を迎えた直後、ファン・デル・ブレッヘンが振り返ってダイグナンが小さくうなずいたのを合図に、オリンピック金メダリスト(ファン・デル・ブレッヘン)が前へ出ます。見事なフットワークを表現する言葉は無数にありますが、アンナはシンプルにスロットルを開き、滑らかでエネルギッシュなリズムで先頭から飛び出しました。そこからフィニッシュまでの4キロメートルは、彼女の純粋な創作ダンスのようでした。
複数の小集団が形成され、5人からなる集団が前に出た時、ファン・デル・ブレッヘンとダイグナンは辛抱強くこの新しい動きについていきました。間もなく、集団が――その時点では4人になっていました――「じゃあそろそろ踊ろうか」という時を迎えた直後、ファン・デル・ブレッヘンが振り返ってダイグナンが小さくうなずいたのを合図に、オリンピック金メダリスト(ファン・デル・ブレッヘン)が前へ出ます。見事なフットワークを表現する言葉は無数にありますが、アンナはシンプルにスロットルを開き、滑らかでエネルギッシュなリズムで先頭から飛び出しました。そこからフィニッシュまでの4キロメートルは、彼女の純粋な創作ダンスのようでした。
アムステル・ゴールド、フレッシュ・ワロンヌ、リエージュ~バストーニュ~リエージュ――価値ある3つのコース料理にも似た3つのワンデーレースが並ぶのが、アルデンヌ・クラシックのメニューです。今年は史上初めて女子の3レースが同時期に開催され、3つのレースすべてでジャージの首元にナプキンをはさみ、女王のように“テーブルにつく”女子のプロ選手が見られます。現時点で最初の2つのコース料理が終了し、あとはリエージュ~バストーニュ~リエージュというデザートを残すのみとなっていますが、明らかにブールス=ドルマンスのアンナ・ファン・デル・ブレッヘンは食欲旺盛です。最初にそれが発揮されたのはアムステル・ゴールド。レースの名前はビールを使った食前酒を思わせますが、実際のレースは17ヵ所の登りをこなす必要があり、むしろ高価なキャビアに近い豊かさと強烈さと粒々の舌触りが合わさった刺激的な風味を持っています。前回のアムステル・ゴールド女子レースが開催されたのは2003年。オリンピック金メダリストのアンナ・ファン・デル・ブレッヘンはその当時まだ12歳でした。そしてこの日曜日、彼女はチームメートで2位になったリジー・ダイグナン(旧姓アーミステッド)を含む6人の集団から飛び出し、全員の皿をからっぽにして勝利を手にしました。オランダのレースでオランダのチームのオランダ人選手が優勝? 焼きたてのストロープワッフル〔オランダ発祥の菓子〕みたいに美味しい出来事です!
2番目のコース料理、フレッシュ・ワロンヌ女子はその数日後に行われました。ファン・デル・ブレッヘンにとっては、好物の料理のように慣れ親しんだ心地よい風味――勝利を思わせる味です。前年とほとんど同じ形でアタックしたアンナは、最後の2ヵ所の登りの中間で抜け出し、「ユイの壁」の登りは一人旅を決め込んで、16秒差で優勝しました。オリンピック金メダリストのアンナにとってアルデンヌで2つめの勝利です(2位は今回もリジーでした)が、それ以上にすばらしいのは、アンナがこのレースの3連覇を達成したことです。フレッシュ・ワロンヌ女子の最多優勝回数記録を塗り替えた彼女は、まさに“壁のぼりの女王”といえるでしょう。
残るはデザート――リエージュ~バストーニュ~リエージュです。このレースはどんな味になるのか、女子のプロトンの誰も知りません。というのも、女子のワールドツアー・カレンダーでこれまでに行われたことがない、初開催のレースだからです。表彰台の一番上に誰が立つことになっても、勝者にとって勝利の味は甘美に違いないでしょう。誰が一番ハングリーで、誰がみんなにおごる役になるのか、楽しみでなりません。
サヨナラを言うのはいつだって難しいものですが、この日曜にトム・ボーネンが悲願の「パリ~ルーベの5度目の優勝」を果たせずに終わったことは、われわれにとっても喉に何かがつっかえたような気持でした。レースのキロメートル表示が進むにしたがって、力強さで鳴らしたこのベルギー人選手のファンの心にはたったひとつの思いしかありませんでした――「これが最後なんだ」。アランベールを力で押し通る彼を見られるのはこれが最後。息をのむスピードで石畳を滑るように駆けるトム、その滑らかな足の動き、「前へ、ひたすら前へ」というポジションでライドするあの丸い背中を見られるのもこれが最後。彼が現役最後のヴェロドロームに入って来た時(優勝争いのスプリントはその20秒ほど前に終わっていました)、われわれは、彼もわれわれと同じことを――これが彼の現役最後のスプリントだということを――考えているのだろうか、と思いました。しかし、ハッピーエンドのおとぎ話にならなかった悲しさの中でも、われわれは笑顔にならずにはいられませんでした。彼のキャリアのなんとすばらしいこと! 彼がどれだけのものをわれわれに与えてくれたことか。トム・ボーネンは15年にわたって、忘れることのできないレースを見せてくれました。なんでもないことのようにやすやすとバイクを操るスタイル、ロードでの無数の栄冠や激闘、リーダーシップと品格――われわれは立ち上がって叫ばずにいられませんでした。「キャプテン! われらがキャプテン!」
クワレモントの石畳の上でフィリップ・ジルベールは集団のくびきから自らを解放します。この飛び出しはリスキーでした。残りはまだ50キロメートル以上あり、飢えたプロトンに再び飲み込まれる危険性は十分にあったからです。しかし彼は大きくスピードを上げ、沿道の観客も、ソファでテレビ観戦する視聴者も喝采を送ります。ジルベールが頭を下げ、全力でフィニッシュを目指すのを、われわれも息を殺して見守ります。彼は容赦なく、死に物狂いで、飛ぶように走っていました。失速はしません。ジルベールがフィニッシュに近づいている時、がむしゃらに追い上げる集団は29秒も後方にいました。彼はなにげないふうにバイクから降り、いましがた征服した石畳の道から剣を引きぬくかのようにバイクを持ち上げて高く掲げます。われわれが見守る中、彼は自分の成し遂げたことに対して満面の笑みを浮かべながらフィニッシュラインを歩いて越えました。信じられないようなレースでした。“テーブルの中央にチップをすべて積み上げる”ようなギャンブルに出て、全部をかっさらうことに成功したフィリップ・ジルベールは、フランドルの新しいヒーローになったのです。
Lミラノ~サンレモのレースは、ミラノの街を出ると、まるでセーターをほどくようにプロトンが形を変えていきました。しばらくの間はセーターとわかる形をとどめていたものの、イタリアの田園風景の中で、一列また一列と糸がほぐれてはぎとられていきました。トゥルキーノ峠の頂上のトンネルが近づくにつれ、ロンバルディアの平原に点々と残された縫い目のようなライダーたちにはもうこれ以上変化がないとみなされ、放送のカメラにも映らなくなりました。しかし、ひとたびプロトンがトゥルキーノを越えて海岸へ向かう下りに入れば、毛糸がしっかりと握られて力強く引っ張られるのが誰の目にも明らかに。中継のヘリコプターは海岸に沿って上空を飛び、海のように青い糸が何マイルにもわたってレースを紡ぐ様子にファンは熱狂します。10人のライダーが集団から飛び出してできる限り先行しようとしますが、単にいっときのことで、せいぜい5分しか続きません。再びプロトンに吸収されたスプリンターたちが狙うのは、ひとつだけ――チプレッサとポッジョを生き延びることです。チプレッサで加速を試みるライダーたちは――何人かの有望なスプリンターも含めて――、地中海から吹く風に背中を押されてタンポポの綿毛のように飛び出しますが、じきにもとに戻ってしまいます。ソファやバーのスツールやベッドで見ているファンの心臓も、のどから飛び出しそうです。
ポッジョでサガンがアタックを開始。猛烈な勢いだったので、後続のレーサーたちにとっては「虹でも食ってろ」と言われたも同然でした。虹の味は疲労でできる乳酸。サガンの猛攻に2人だけがついていき、3人の先頭集団ができました。彼らの心臓は互いを見ながら鼓動を打っていたでしょうし、見ているわれわれの心臓はもう口の中まで出てきそうでした。下りの有名なヘアピンカーブを走り抜け、彼らはひとかたまりでポッジョに入ります。触れたらやけどしそうな熱狂がうずまきます。後続がこの3人を捉えることはないでしょう。表彰台に上るのはきっと彼らです。
心臓が止まるほどのスプリント。3人のエリートライダーがゴールのラインをほぼ一線で走り抜ける、こんなフィニッシュこそ、上質のイタリア製セーターがほどけた展開の先に生まれるものとしてわれわれみんなが望んでいた情景です。見事な糸のほどけ方でした。ローマ通りのフィニッシュラインに向かって全力でこぎ、体とバイクを追い立て、投げ出すところを見れば、彼らが死力を尽くしたことは明らかです。脚からはもう1滴の力も絞り出せません。肺には空気がまったく残っていません。SPECIALIZEDが期待したのはサガンとアラフィリップでしたが、結果にはまったく失望していません。なんて劇的なフィニッシュ。サイクリングというドリームは、こんなフィニッシュが集まってできているのです。
ストラーデ・ビアンケは始まってからまだ10年ですが、すでにワールドツアー・カレンダーのなかで最も華やかで魅力あふれるワンデーレースのひとつとして揺るぎない存在になっています。ストラーデ・ビアンケ(白い道)という名前のもとになった白い砂利道からユネスコ世界遺産であるシエーナのフィニッシュまでのグラン・フォンドは、春のクラシックとして急成長しつつあります。今やこのレースは、サイクリングモニュメントにファンが望む内容をひとつのこらず、イタリア製の金色の大皿に乗せて差し出してくれます。今年は雨模様で、ふだんなら陽光を浴びる白いトスカーナの道にまるで北方のレースのような飾り付けがされました。もちろんわれわれはチームの主役であるズデネク・シュティバルとペテル・サガンを全力で応援しました。シュティバルはあと一歩のところで3度目の表彰台を逃しましたが、クラシックになりつつあるこのレースの純粋な美しさは、われわれの情熱を燃え立たせるのに十分でした。もっと簡単に言えば、素晴らしいバイクレースの開催に向いた素晴らしい一日だったということです。
2016年を一言であらわすなら、「移行」でしょう。旧友が新しい方向へ向かい、王冠が重くなり、レガシーが物語の最後のページにたどりつき、新しい時代の夜明けが近づいているのを、われわれは目にしました。過去にとどまるのは簡単ですが、歳月は待ってくれませんから、われわれも立ち止まるわけにはいきません。さあ、一緒にクイックステップ=フロアーズ、ブールス=ドルマンス、ボーラ=ハンスグローエの陣営を訪問し、2017年に何が起きるかを見ていきましょう。